日本の葬送文化には多様な所作や儀礼が存在するが、その中で「偲び手(しのびて)」は特に独特な表現形式として注目に値する。
偲び手とは、葬儀の際に音を立てずに行う拍手を指し、故人を悼み、静かにその霊を慰めるための所作である。通常、神道儀礼においては「柏手(かしわで)」と呼ばれる拍手があり、神前に響かせる音によって神々を招来する意義をもつ。これに対し、偲び手は音を立てないことによって「死者の世界に静けさを保つ」ことを意味し、葬送の場において独自の象徴性を担ってきた。
日本の葬送文化における「偲び手(しのびて)」の成立は中世以降の神葬祭の普及過程に遡るが、本格的に制度化されたのは明治期であり、国家神道政策のもとで「仏式葬儀との差異を強調する儀礼」として広まった。通常の神道儀礼で行われる柏手が音を伴って神々を招来するのに対し、偲び手は音を立てないことによって「死者の安寧と静謐」を表すという対照的な意味を担った。
しかし、この偲び手は戦後の日本社会において大きな変化を経験する。最大の要因は、核家族化と都市化による生活環境の変容である。農村社会においては、地域共同体や親族集団が葬送の担い手であり、神葬祭や仏式葬儀といった宗教儀礼も生活共同体の中で共有されていた。だが、戦後の高度経済成長期以降、都市部に移り住む人々が増え、共同体の縁が希薄化するなかで、神葬祭は急速に衰退した。その結果、偲び手もまた日常的な葬送習俗から姿を消していった。
さらに、都市社会では「合理化」と「簡素化」が葬儀に求められるようになった。仏式が圧倒的多数を占める中で、神葬祭の実施率は1%未満にまで低下し、偲び手の作法は一部の神職や神道信奉者に限定された。加えて、葬儀社が主導する現代的な「画一化された葬儀」の普及は、地域固有の所作を弱め、偲び手のような独自性をもつ儀礼をさらに周縁化させたのである。
宗教観の変化もまた見逃せない。戦後日本人の死生観は、伝統的な宗教的枠組みよりも「無宗教的な追悼」へと傾き、葬儀自体を縮小する傾向が強まった。直葬や家族葬の増加はその象徴であり、死の場で「静かに祈る」という行為は残っても、偲び手という具体的な形式は失われつつある。これは、葬儀の儀礼が共同体的規範から個人の選択へと移行する中で起きた変化といえるだろう。
一方で、偲び手は完全に消滅したわけではない。今日でも神職の家系や神道系新宗教の葬儀においては実施され、また学術的・文化史的な研究の対象として再評価されつつある。その背景には、形式化された葬儀のなかで「日本独自の死の所作」を再発見しようとする関心がある。つまり、偲び手は日常的習俗からは後退したものの、文化遺産的な意味をもつ儀礼として存続しているのだ。
戦後日本における偲び手の消失過程は、単なる儀礼の衰退ではなく、社会構造の変化と深く結びついている。共同体の弱体化、葬儀の簡素化、宗教観の変容が重なり合うなかで、偲び手は「人々が日常的に行う所作」から「特定の宗教的文脈に限定される儀礼」へと変質した。その歩みは、日本社会における死の意味の変化、そして宗教儀礼がいかに社会的基盤に依存しているかを示す具体的な事例といえるだろう。